Redneck 2017 5 7

 私が生まれた家は、農家でした。
日本の平均的な農家に比べれば、
耕作面積は大きかったと思いますが、
それでも生活は豊かとは言えなかったと思います。
 大粒の汗が流れ落ちている父母を見て、
私は農作業の手伝いをしました。
 その時、父母から「首に手拭いを巻け」と言われましたが、
それでは、外見が「田舎のおやじ」になってしまいますので、
私は、手拭いを使わなかったのです。
 しかし、後になって、大変なことになったのです。
首筋というか、首の後ろが日焼けをしてしまい、
赤くなって、ひりひりと痛むようになったのです。
薬を塗りましたが、あまり効果がなく、痛みが2日ぐらい続いたと思います。
 「Redneck」とは、日本語に直訳すると、「赤い首」となるでしょうが、
アメリカでは、屋外で、肉体労働をして首が赤くなった肉体労働者の意味です。
首筋が赤くなるということは、白人の肉体労働者のことかもしれません。
こうした人たちが、トランプ氏の大統領選挙当選の原動力になったかもしれません。
 さて、父母が、一生懸命働いたおかげで、
私は、東京の大学に入学することができましたが、
そこで、不思議なことを見ました。
 当時は、学生運動が盛んで、
今風に言えば、リベラル運動となるのでしょうか。
 そういう運動に参加している人に、意外な人たちがいたのです。
東京という大都市の一等地に生まれて自宅は裕福な家庭なのに、
学生運動に参加している人たちがいたのです。
 私は、「なぜ、大都会に生まれて裕福な家庭なのに、
学生運動に参加するのか」と、ずっと不思議に思っていましたが、
後になって、知人から聞いたところでは、
「裕福でも、彼らが学生運動や左翼運動に参加するのは、
一種のファッションであり、格好いいからだ」というのです。
 私は、「Redneck」でしたが、
学生運動には参加しませんでした。
私は、「成功して豊かになりたい」と考えていました。

カラス 2009 9 5
 私の子供時代は、まだ戦後復興の気配が残る時代で、
都市部はともかく、地方の農村部は貧しかったのです。
 だから、「おやつ」という贅沢なものはなかったのです。
しかし、成長期だった私には、昼食と夕食の間が、あまりにも長かったのです。
 自然の恵みが、私の空腹を満たした。
どこの家でも、庭や畑に果樹があり、
春にはイチゴや枇杷(びわ)、夏には桃や梨、秋には柿と、
空腹を満たす食料には不足がなかったのです。
 しかし、冬が近づくと、果樹は冬支度を始める。
「俺たちは、カラスと同じだね」と、友達がつぶやく。
 そのとき、果樹の仲間たちの思いは強いものとなっていく。
僕は学問で身を立てる。
俺は有名なスポーツ選手になる。
手に職をつけて立派な職人になる。




























































































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